答志島観光

「御食津国志摩(みけつくにしま)」

伊勢志摩は、海産物の宝庫であり、古く天皇へ海産物を献上する特別の国として知られています。

 

◎答志島観光  面積6.98km2 周囲26.3km 人口3000人弱 ”たちはきの 手節のさきに けふもかも大宮人の玉藻刈るらん” と、 古代(万葉集)柿本人麻呂にも詠まれた答志島。 平城京跡より、答志島よりめかぶを献上と記された木簡も出土しています。 近世には、水軍の将として戦国期を生き抜いた九鬼嘉隆の終焉(しゅうえん)の地であり、首塚、胴塚は、地元の人々によって守られています。 また、寝屋子(ねやこ)制度という若衆宿制度があり、かつては日本各地でみられたこの制度も 現在では、答志島にだけ残っているものです。 一説には、九鬼水軍が、いざという時に、舟の漕ぎ手 を集める際、人数確保しやすかったことから 始まったとされています。 答志、和具地区、桃取地区の3つの集落があります。 漁業者が一番多く、それに続く水産加工業者、また観光業も発展しており 毎年旅館組合、島の旅行等で、いろいろなイベントも行われております。 八幡祭り(答志地区) (旧 1/17~19) 大漁、海上安全を祈願して行われる祭りで、弓討ち神事があります。 的を射たあとのスミを壮絶な奪い合いで持ち帰り、各家々の戸口には 鬼よけの意味合いの込められたの文字が屋号のように書かれています。 和具港では,春になると(2月半ば~4月)「かおり風景100選」にも選ばれた 塩蔵わかめづくりで、港は、わかめをたく香りでいっぱいになります。 また、答志スカイラインにおいては、山道中腹より桜の木々の中を通り抜け 島の入り江や鳥羽港までの眺めは絶景。 舗装された道路以外にも古くから山道につけられている遊歩道を歩いてみれば 、またそれぞれの山の頂きに開かれた見晴らし台より見下ろす漁港の風景は圧感です。 この遊歩道は、登りも下りも急勾配な箇所が一番多いですが、地元の町内会、老人会、文化保存等で守られています。 以上  ※寝屋子制度...数えで15歳になると加入し、妻帯とともに退会。主に地区の祭事や・防災時には、兄弟の絆のごとく一致団結し行動を共にする、 無人島「浮島」 答志島の西に位置する無人島「浮島」には手つかずの自然が残り、数多くの海辺の生きもの達が生息している。答志島から舟で2~3分のところにある周囲300m程の島 大潮の干潮時に現れる浮島の平らな磯場  手つかずの自然が残り、数多くの海辺の生きもが観察出来る。